匠たちのリレーコラム #6

「ヒッチハイク入門」 飯島正章

 

ふと、自分の人生に大きな影響を与えた本は何だろう思ったとき、「ヒッチハイク入門」という本が思い浮かびました。

 

この本に出会ったのは18歳の時です。

高校3年生の終わりか大学に入ったばかりの頃。

 

もう30年以上も前のことなので記憶も曖昧ですが、「ヒッチハイクとは何か?」から始まりヒッチハイクの意義や発祥の地のほか、具体的なヒッチハイクの技術が事細かに書かれていたと思います。

 

「ヒッチハイクはとにかく場所が大事。」

「上り坂と下り坂ではどっちがいいか?」

「右カーブと左カーブではどっちが良いか?」

「町中で手を上げるとタクシーが止まる。」

など、実戦に即した充実した内容でした。

 

ヒッチハイクというとアメリカやヨーロッパが盛んなようですが、実は日本が世界で一番ヒッチハイクのしやすいヒッチハイク天国だと言うことも知りました。

 

疑うことを知らなかった18歳のぼくは、この本の通りにやれば間違いなくヒッチハイクができると思い、大学一年の夏休みに早速ヒッチハイクの旅に出ることにしました。

当時は日本ヒッチハイク大会というのがあって、毎年東京-札幌間の競技をしていました。

ちょうど夏休みに入ってすぐに開催されていたので参加する事にしました。

競技区間は上野公園から札幌の大通公園まで。

期間は4、5日だったと思います。

参加者は20人くらいでしたでしょうか。

 

初めてのヒッチハイクでしたが、他の参加者と付いたり離れたりしながらの旅だったので、思ったよりすんなりできました。

そして数日後、無事札幌の大通公園に着くことが出来ました。

 

大会のあとは1人になり宗谷岬、稚内等まで足を伸ばしその後ひたすら南下して鹿児島までほぼオールヒッチハイクで行きました。

旅としてはさらに沖縄本島、石垣島、西表島、波照間島まで行ったのですがそこはさすがに船での移動でした。

 

ここぞと思う場所に立ち、親指を上げて1発で車を停めたことも何度かあります。

こういうときは自分の左親指になにか特別な力があるように感じました。

そして日本は間違いなくヒッチハイク天国でした。

 

途中長野県でのことです。

軽井沢を通ったときにちょうどお盆になってしまい、大渋滞のうえみんな家族連れで乗せてもらえるスペースのない車ばかりでした。

それでも手を上げつつ歩いていると、空き地にトラックを停めて西瓜を売っているお兄さんに呼び止められました。

「おい兄ちゃん、お盆でヒッチハイクはムリだから西瓜売るの手伝っていけ。」

というわけで一緒にトラックに乗り軽井沢の町を回りました。

お兄さんに「あそこの家へ行ってこい!」といわれると西瓜を持ってその家へ行き「すいませ~ん、スイカ買って下さい♪」と言って売り歩くのです。

その時ぼくは中学生に間違えられるほどの童顔だったせいか、

「かわいそうねえ」「がんばってるわねえ」みたいな感じで意外と売れました。

 

空き地には他にハマグリを売っているおじさんがいました。

3個入りは600円、6個入りは1000円で少し安くなっています。

「おじさん、6個入りばかり売れたら損してしまいませんか?」

と尋ねると、

「若者よ、6個入りがまともな値段で、3個入りは高くしてあるのだ。だから損することはないのだよ。」

と言われ、世の中の一端を垣間見た気がしました。

 

そんな感じで50日間ほどの初めての長い旅を経験しました。

拾ってくれた車は108台。除夜の鐘と一緒です。

 

高校では部活に明け暮れていて、大学に入ったら何か違うことをやってみたいと思っていた時に、ちょうどこの本に出会いました。

そしてこの本をきっかけにしてヒッチハイクの旅に出たことにより、その後の人生に対する考え方が大きく変わりました。

 

何しろ、その日の夕方に自分がどこに居るか分からないのですから、臨機応変にならざるを得ません。

また「まあ、何とかなるだろ♪」という感覚もしっかり身につきました。

身についたと言うよりは染み付いたといった方が正しいかも知れません。

でもこれが今の仕事で一番役に立っているように思います。

 

そういうことで、この「ヒッチハイク入門」という本がぼくの人生に大きな影響を与えたように思えます。

 

 

そして、実はこの本とほぼ同時に「ぶらり海外放浪術」という更に怪しげな本も買っていたのです。

今度はこの本のおかげで大学を中退しぶらり海外へ行くことになりました。

 

単に影響を受けやすい若者だったのかも知れません。