土岐さんの工房を見学してきました。 2012年6月13日


 

お邪魔した日:2012年6月13日

お邪魔した人:飯島正章、狐崎ゆうこ、花塚光弘、前田大作

 

 

 

 


 


土岐さんの工房 飯島正章 記


同行の人に運転をお任せしていたら、いつの間にか土岐さんのお宅に着いてしまった。
山の中腹で近くに民家はなく見晴らしのいいところだった。

土岐さんは黒田辰秋の晩年の弟子で、刳りものの仕事をされている。
ピシッとした平面を生かしたものもあるが、ぼくは彫刻のように深く彫りこんだものが印象に残っている。
美大出身でグラフィックデザイナーも経験されていた。
作品はかなり綿密に考え抜かれているのだろうが、大胆で自由な感じが強い。
ここまでやるのならオブジェにした方がより自由度が高くなっていいのではないかと思ってお尋ねしたら、「オブジェはやらない。あくまで工芸にこだわる。」とのことだった。
ぼくも工芸にこだわりたいと思っているので共感できた。
とはいえ「工芸もアートだ」ということも言われていた。
確かに土岐さんの作品は箱であったり、皿や盆であったりとちゃんと用途があるが、単にそこに留まっているわけではないように思えた。

土岐さんの工房は住居の奥のほうにある。
そこには高さの違う作業台がふたつ、低めの椅子、大きなバイス、棚や引き出しなどがあり、漆室や研ぎ場も設置してあった。
道具類はほとんど棚や引き出しに収められていて、すっきりしている。
そして年季の入った仕事場というよりは比較的新しい感じがした。

思い入れのある道具は、ふたつある作業台のうちの1つ。
60㎝×90㎝くらいの広さで高さは60㎝くらいだろうか。
足にはキャスターが付いていて、作業面には照明が据えつけられている。
見たところ何の変哲もない「作業台」で、ありあわせの材料でパッパと作ってしまったように見える。正直言ってあまりありがたみは感じなかった。
しかし、この上でアイデアスケッチや図面を描いたり、粘土で試作したりと使用頻度はかなり高いとのこと。
土岐さんは作品作りの中でいいアイデアができたら作品の半分くらいはできたようなものと言われていたので、この場がかなり重要なのだなと思った。

黒田辰秋のところでは漆と螺鈿をみっちりやったとこのこと。
ただ逆に木地の仕事はほとんどやらなかったので、そこが不安だったようだ。
そのため黒田のところを出た後に、伝手を頼って木工の師匠についた。
はじめにその師匠に道具箱を持っているかと聞かれ、「ない」と答えると目の前で作ってくれたそうだ。
それを見てこれができれば何でもできると思ったという。
これは木の匠たちの本にも書いてあったし以前にも直接お聞きしたことがあったが、今回初めてその道具箱を見ることができた。
ぼくは道具箱というのでてっきり大工さんが現場へ担いでいく蓋付きの単純な箱だと思い込んでいた。
しかし、実際に見てみるとそれは据え置き式の4段の引き出しで、ずいぶん立派なものだった。
板ざし3枚の組手で前面は留である。引き出しは簡便な方法と言っていたが向こう板と側板は3枚に組んでありしっかり作ってあるように見えた。
師匠はこの道具箱を木取りから組み立てまで手加工だけで一日で作ってしまったそうである。
木取りから手でやってしまうというのはすごいことだ。
おそらく見る間にどんどんとできていったのだと思う。
僕も見てみたかった。

作業部屋の一隅に流し台があり、そこを研ぎ場にされていた。
研ぎ場の脇には何本かの平鉋が壁に掛けてあり、その中の一本が「寿一」だった。
碓氷健吾氏の作で谷さんも愛用されていた鉋だ。
後ほど別室でお茶をいただいているときに土岐さんにお尋ねした。
「寿一という鉋がありましたがやっぱり使いやすいですか」
土岐さんは「ん?」といっておもむろに立ち上がって鉋の所へ行き、2本の鉋を持って戻ってきた。
「そうそう、これ良く使う。京都の道具屋でこれはペアだよと言われて2本買ってきた。あー寿一って言うんだね。銘は全然気にしてないんだ。」
自分の愛用している鉋の名前を知らない人に初めて会った。
こだわる所はとことんこだわるが、こだわらないところは驚くほどどうでもいいらしい。

木の匠たち展の中で気になる人は、まず槙野文平さん。
作品が文平さんそのままといった感じがする。
作為の出ないああいう仕上がりが一番難しく、自分にはできない。
無の境地なんだろう、ということだった。
土岐さんはかなり作り込んでいくタイプのようなので、槙野さんのどちらかといえば「できちゃった。」的な感じが気になるのだろうか。

それから小間さんと花塚さん。
一見土岐さんとは対極の作風のようだが、もしかしたら自分もそういう方向に進んでいたかもしれないとのこと。
作っているものは全然違うけど、発想とかデザインということから考えると意外と共通点があるのかもしれない。

土岐さんは2回目の木の匠たち展から参加された。
会議の時に初めて話をお聞きしたときは、ものづくりに対する姿勢が厳しい感じがして少し怖い人のように思えた。孤高の人といったイメージだった。

その後会期中などにお話ししてみると、意外と気さくな方なのでホッとした。
ぼくのように中くらいな工芸家の、中くらいな質問にもていねいに答えてくださった。
そしてこれからもまだまだやりたいことがあるようで、非常にエネルギッシュな感じがした。

今度の木の匠たち展では展示場所が隣同士になるので、土岐さんの作品に圧倒されつつも、またいろいろなお話が聞けるのではないかと楽しみにしている。




















土岐さんの工房 花塚光弘 記


土岐さんの作業部屋。大きな窓から見える風景が気持ちいい。

土岐さんが作った作業台の上には数多くのアイデアスケッチ。

油粘土を使ってモデルを作り2次元では描けなかったものを3次元で作っていく。

自由度が高い粘土で少しずつ削って形を決め

木と漆で表現していく。とても時間と手間のかかる根気がいる作業だ。

 

土岐さんは自分をセッカチだと言っていたが

この緻密な作業と落ち着いた雰囲気からはとてもそうは思えない。

工芸とグラフィックが同居しているような土岐さんの独特な世界。

作品の魅力はこの手間と根気強さから生まれてくるのだろう。

土岐さんは木の匠たち展の気になる1人に槙野さんを挙げていた。

「槙野さんの作品は持って生まれたモノを素直にそのまま表現している。

作風も大胆に見えるけどモノの形の本質をつかんでいて変な作意がない。」と言う土岐さん。

 

僕らが取材で槙野さんの工房にお邪魔したときに見かけた槙野さんのスケッチや文字。

とてもいい雰囲気で魅力的だった。

家具も大胆なものを作っているのに作業はかなり繊細。

槙野さんと土岐さん作品の大きさは違うが結構共通点が多いのかもしれない。

美しい曲線の中にピーンと張りつめたようなきれいなラインが気持ちいい。

もっともっと細かくなっていくのか 

もっともっとシンプルになっていくのか。

次回の木の匠たち展でも土岐さんの作品が楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


土岐さんの工房 前田大作 記


土岐さんの工房の場所や自然環境は御邪魔する前からある程度わかっていました。

私たちの工房から車で30分程度。

距離は遠くても、同じ山系にあるとなんとなく同じような山の空気を感じる事ができる。

信州に暮らしているとそんな野生の感覚が身に付くような気がします。

信州でたくさんの木工作家さんが活躍している理由のひとつは、

きっとここの自然に魅力を感じて移住してくる方が大勢いらっしゃるから。

当たり前の事だけれど、ものをつくるのに周囲の環境は少なからず影響がするはずで、

つまり工房の立地というのは、意識的にそこにきたのか、

あるいははじめからそこにいたのかに関わらず

作品に関係しているだろうというのが僕の下心です。

よく晴れた昼下がり、そんな考えを胸に土岐さんの工房にお邪魔しました。

軒下でときおり響く竹製の風鈴のような楽器。

李朝の箪笥やアフリカの一木作りの椅子、インドの木製ナイフ、

梁上にさりげなくおかれたアジアの御厨子などは

どちらかというと奥様のテイストなのだろうかと思いつつ眺めていると、

それらの品々には親しみやすさの中になにか

共通している油断のならないスパイスを感じます。

それはなんだろうと思案して結論がだせないまま、

リビングから工房の中へと案内していただきました。

土岐さんの作業場はシンプルでした。

ストイックな感じもありました。

 

大勢の木工作家が立ち仕事をするなかで、座す仕事場。

僕が幼少のころに親しんだ父のあて台を強烈に思い出しました。

しかしさらに僕が目を奪われたのは、その当て台が手前にすこし傾けられていた事。

制作中の美しいタモ材とそのカンナ屑、

クリ物には特に大切だと思われる高性能な万力、

膨大なアイディアが潜んでいるスケッチ用の文具と作業台…。

あとは道具類を納める引き出しと漆のムロという

空間はかなりストイックに感じるけれど、

やはりその中心に据えられた当て台には心を奪われた。

気になる作家さんは、槙野さんと小間さん。

槙野さんの無為の作風はご自分と対局だから。

小間さんの作風はどこかご自分の作風に共通しているから、という理由でした。

小間さんの作品は、もしご自身が黒田辰秋に弟子入りしていなければ

かなり似ている世界観になったかもしれないとのこと。

思い入れのある道具は万力か、スケッチをする作業台。

キャスターがついた無造作な作業台はもしかしたら

槙野さん的な土岐さんの一面なのかもしれない。

リビングに戻り、お茶をごちそうになる。

グループ展に関する打ち合わせや食事の席でも感じる、

土岐さんの温かさとエッジ感。

 

作品に混在する柔らかな曲線とシャープな稜線。

室内の素朴な民芸品の中に秘められた作者の強い意志や精神のようなものが

きっと件のスパイスで、もしかしたらエッセンスなのかもしれないと拝察しました。

混在している魅力が、混ざり合うのではなく隣り合って響き合っている雰囲気。

土岐さんのエネルギーに圧倒されたまま、お暇しました。

穏やかな雰囲気や慣れ親しんだ山の景色に油断をしてはいけなかった。

そこに内在するいろいろな事象はやはり骨太で、強烈です。