お邪魔した日:2011年11月17日
お邪魔した人:飯島正章、狐崎ゆうこ、花塚光弘、前田大作
酒井さんの作品といえば大きなものはテーブルから小さいものは器まで様々あるが、なんと言っても匙が一番印象に強い。
S字カーブが美しいレンゲ、もち手がカブトムシの角を思わせるスプーン、薄く浅いのにスープも飲みやすいツゲの匙など。
きちっと木地を作りしっかりと漆を塗った完成度の高いものだ。
その匙が今年縁あって我が家にやってきた。
以前から「いいなあ」と思っていたので期待に胸ふくらませて使ってみたが、正直言って最初は少し違和感があった。
金属の匙に比べて厚みがあるので口の中に何か巨大なものが入ってきた感じがして、かなりの異物感だった。
ところが慣れてくると全く気にならなくなり、逆に金属のスプーンのほうが妙に薄っぺらで頼りなく思えてきてしまった。
最近では食べ物の味と一緒に、口や舌に触れる漆塗りの感触も楽しんでいる。
拭き漆のサラッとした感じも良いし、溜め塗りのすこしヌメっとした感じも良い。
熱すぎることも冷たすぎることもなく使いやすい。
そしてなんと言っても塗りも形も美しい。使い終わったときに思わず見入ってしまう。
また、匙を洗ったときの水切れがなんとも言えず良い感じである。
まさに絶品。
縁の部分は漆がはげやすいというけれど、今のところ全くそんな気配はない。
そんな匙を作る酒井さんの工房にお邪魔した。
外から見ると普通の住宅でここが工房だとはまず気がつかない。
この家の2階の2部屋を仕事場としていた。
ここでは主に手加工と塗りの作業をしているとのこと。ロクロなどの機械場は別の場所にあるらしい。
そこで、仕上げに近づいた匙の削り作業を見せていただいた。
いろんな人がスプーンを作っているけど、内側を削るのは大変だろうなあといつも思う。
酒井さんはノミなどで削ったあと、バンカキという道具で仕上げるとのことだった。
見せていただいたのは比較的小型のもの7本ほどで、それぞれ刃先の曲線の具合が異なっている。この道具は酒井さんの思い入れのある道具ということで、特注で作ったものや自作のものもあった。
それを匙の大きさや深さによって使い分ける。
切る道具ではなく削る道具、いわゆるスクレーパーである。
酒井さんがバンカキで引っ掻くような感じで削っていくと、細かい粉のような削りくずが出でてきた。
シャリシャリと気持ちよくノミの刃痕が取れていく。
我慢ができなくなったので、やらせてもらった。酒井さんと同じように(思える)粉のような削りくずが出たのが少し嬉しかった。
やってみると「削る」というより「切る」という感覚だったので意外だった。
バンカキはもち手の先端部分を左手でつまんで、刃先を右手で持ち振り子を振るようにして砥石にあてて研いでいくとのこと。こんな研ぎ方は初めて知った。
そしてスクレーパーは研いだあと「かえり」を取らず、この「かえり」で切っていくとのことだ。
これは納得。ぼくのやっている竹工芸でも竹の表皮を削る道具があり、この道具の場合「かえり」を取らないほうがよく削れるんじゃないかと思っていた。
酒井さんに確証をもらったようでまた少し嬉しい。
そして、バンカキで削ったあとはペーパーで仕上げて漆塗りに入る。
匙の場合は曲面だからペーパーを使うそうだが、平面の場合はペーパーを使わずによく切れるカンナでスパッと仕上げたほうが、漆の吸い込みがよく良好な塗装面になるそうだ。
塗装といえばペーパーできれいにしたほうがいいと思っていたので意外だった。
酒井さんの作ったテーブルはカンナ仕上げで漆を塗ったのだそうだ。
酒井さんは今は木漆工芸家ということで木工もされているが、元々は蒔絵師だった。
蒔絵というのは漆芸の技法のひとつであるが非常に幅広く多彩な技法である。
使用する材料も木、漆はもちろん金属、貝、紙、土、布等など多岐にわたる。
そしてその材料ごとに多くの種類があり、その特徴を知らなければならない。
また場合によってはさらに自分で加工して使う。そのため加工方法や加工に使う道具に関しても精通していなければならない
こういう仕事を日々研鑽しながら20年もしていたそうだ。
この幅広い知識と多くの経験が今の酒井さんの土台を作っているのだろう。
酒井さんは道具好きである。
カンナやノミ、のこぎりなどが工房のあちこちに見えたり、箱の中にしまってあったりする。
特に何十丁もあるかんなは圧巻だ。
大きいものも小さいものも変わった形のものもある。
そしてそのどれもがきれいに手入れしてあり、美しく研いである。
どうしたら全てのものを、こんなにきれいな状態にしておけるのか不思議でならない。
その理由をお尋ねしたら、使い終わったら必ず「研いでからかたずける」からなのだそうだ。
なるほどそういう癖をつけておけば確かにしまったものは全てきれいな状態になる。
感心していると、ひと言「基本だよ。」と言われてしまった。
漆塗りの刷毛や筆もたくさん見せていただいた。
いろんな種類があってねずみの毛で作った貴重な筆もあった。
そしてそれが何十本もあって、その全てがきれいに手入れをした状態でしまってある。
ただ、漆の刷毛は使い終わった後かならず手入れをしないと、漆が固まって高価なものもダメになってしまうということは、ぼくも知っている。
そこで、「漆でこういう癖が付いているから、木工の道具類もキチンと研いでから片付けるんですね。」と言ったら、「そうじゃない、基本なんだよ。」と今度は目を見て言われてしまった。
このあと、蒔絵の材料である金粉、銀粉、貝や、昔作った塗り見本などを次から次へと見せていただいた。技法に関してお聞きしても非常に詳しく奥が深い。
道具に関しても、漆に使う道具からどこが境界か分からないけど趣味の世界の道具まで、出てくる出てくる。そんなに広くもないこの部屋のどこにこんなにたくさんのモノがあったのかというほど出てくる。
道具を通して酒井さんの巾の広さ奥の深さに圧倒されてしまった。
特にカンナに関しては「削ろう会」という団体に所属していて、非常に高い技術を持っている。
そして「切れるカンナをかけると、木は驚くほど美しくなる」のだそうだ。
そこで少し意地悪だが、「そんなに美しい木に漆を塗ってしまうのに矛盾は感じませんか?」とお聞きしてみた。
すると「すごく感じる。が、中途半端に塗ると惨めな結果になることが分かりきっているので、塗るからにはしっかり塗る。」とのことだった。
ある意味両極端のことをやっているので、自分の中で折り合いをつけるのは難しそうだと感じた。
酒井さんはどこまでも深く探究する人だと思う。
ところが酒井さんのは周りにはもっともっと深く探求している人がたくさんいるらしい。
酒井さんはそんな人たちを畏れと親しみを込めて「キの字」と呼んでいる。
そんな「キの字」に比べたら自分など足元にも及ばないと思っているようだ。
でもきっと近い将来確実にそんな人たちの仲間入りをするだろうなと感じた。
(ほんとはすでに立派なキの字だと思ってますが・・・)
酒井さんの工房には、これまで集めてきたこだわりの「お宝」があふれている。
今回の工房訪問は漆塗りの作業場から。3畳くらい? けっこう狭い。隣の部屋は乾燥室兼物置らしい。仕事場の一番目に付くところには、きれいに仕込んだ平台鉋が数丁。見ると横の棚にも鉋がずらりと並んでいる。豆鉋がころころ入っている箱もあるし、後ろの棚は砥石だ。
そう、酒井さんの「お宝」は木工道具、特に刃物なのだ。新品だけでなく、古い刃を買って作っている。ほとんどが一枚刃、刃口はどれも狭い。刃は使ったら必ず研ぐので、みなぴかぴかしている。
思い入れのある道具は?という質問に挙げてくれたのも刃物。スプーンのさじ部分を仕上るためのスクレーパーだ。目立て前のヤスリの棒を加工したという特注の道具なのだ。これでとことんきれいに削り、後は軽くペーパーをかけるだけ。
「口の中に入れるものだから、違和感がないようにしたい。手間がかかって値段が高くなるけど・・・」
確かにすごい。酒井さんのスプーンでプリンを食べたが、そのつるんとした舌ざわりはプリンに負けないほどです。
彼は、みがいたり、研いだりすることが好きなのだ。
酒井さんはもともと蒔絵の仕事をしていた。棚の奥には、金粉や珊瑚、アワビ貝なども眠っている。かつてはこれらを研いでいた。
蒔絵をやめてから、さまざまな人を訪ねて道具の勉強をして、今では刃物を研ぎ、木をみがいている。そうして自らもみがいているわけだ。
さて次に、そこから少し離れた機械加工場へ行く。荒取りは近くの建具屋さんにお願いしているそうで、そこにはろくろの他には糸ノコ、ベルトサンダーなど小さめの機械しかない。
そして部屋の隅には、またしても刃物が。製材用の「大鋸(おが)」だ。
「最近はのこぎりに興味がある。あれは奥が深い。目立ての角度にもいろいろあって・・・」
いったいどこまで行くのか、酒井さん。見るものすべてがこだわりたっぷり。勉強不足を思い知らされ自信を失った私は、ちょっとうなだれて工房を後にしたのであった。
質問「匠たち展」の中で、自分以外の人の作品で気に入ったものは(気になるもの)はありましたか。何が気に入りましたか?
気になる人は槙野さん。木がなりたいものを追求している。ざっくりしているようで、実は一番繊細なのだと思う。
酒井さんの工房は2箇所にわかれている。
塩尻市内の御自宅の2階と、そこから車で5分離れた郊外の仕事場。
初めて伺ったのは5年くらい前に、
東京でのグループ展への搬入で酒井さんの工房前に集合させていただいた時。
その時は玄関先の駐車場で作品をのせかえて直ぐに出発。
住宅街にある、大きいけれど工房というイメージからは離れた所謂普通な建物の中で
いったいどうやって酒井さんのあの精緻な作品が生み出されているのだろう
という興味が湧いたものです。
酒井さんの御自宅を兼ねた工房は、チリひとつない清潔さ。
今回の「取材」で仕事を説明してくださるために鉋で桧を削ってくださったのだけど、
鉋くずも直ちに掃除機で吸い取っていらしたのに、感じ入ってしまった。
日本に冠たる塗りの産地、輪島出身の酒井さんならではという空気感。
つまり、酒井さんの仕事にたいする姿勢とはそういうことなのだ。
郊外の工房もそうだった。物も道具も多いし、木は空気に触れさせるために
隙間をとってならべなくてはいけないから雑然としてしまうのが常だけれど、
それでも酒井さんの工房は綺麗。工房の電源をいれると同時になりはじめるFMラジオ。
轆轤の上に整然とならべられた刃物。「使った刃物は研いでから仕舞う」という酒井さんの
ひとつひとつの動きは、アドリブが立ち入らない職工の所作だった。
「産地」という言葉は、そこに身を置いた事のない僕の様な人間には
不可侵の聖地に近い響きがあるのだけれど、酒井さんの動きをみていると、
産地の意義をヒシと感じてしまう。
酒井さんは輪島で「頂点が少し、見えた」とおっしゃる程にまで
蒔絵の仕事に打ち込まれた。
その後信州に戻り、漆を自分で育て、漆を掻き、漆を仕込む。
丁寧に塗り、研ぎ、重ねて塗り、仕上げてゆく木と漆の仕事をされている。
その入念な技、深い探究心が鉋や鋸、玄翁などのあらゆる木工の道具におよび、
それらが駆使されて、たとえば匙やたとえばテーブルなどの作品が成り立ってゆく。
輪島で蒔絵の仕事を続けていたら、酒井さんはどのような境地へ辿り着いたのだろう。
けれど「削ろう会」の重鎮からの信頼も厚いという
酒井さんでなければできないような仕事は、
なんだかたくさんあるような気がした
(正直、ぼくなんて恥ずかしくなってしまった取材だった)。